公文式教育方法と男子三日会わざれば刮目して見よ

ふとしたときに公文を行っている母の教室のコメントを見つけました。

読んでみると、
「美しい新万の地に公文式教室を開設して30年。地域の皆様のお役に立てればとの思いで、日々指導しております。自分の3人の子達も公文学習で育ちました。長い間、多くの子ども達の成長に喜びを感じてきました。かつての生徒さんが立派な父兄となられ、「うちの子もお願いします」と久しぶりに教室の扉を叩いてくれて、大変感激しています。子ども達には大きな可能性が広がっています。公文式で育った子ども達には、『やればできる』という達成感と、何事にも『自分から取り組む』姿勢を身につけてほしいです。勉強は必ずしも楽しいことばかりではありませんが、「今しっかり基礎を身につけておけば『やっててよかった』と思える日がきっと来るよ」と伝えています。小学生のうちに算数や国語の基礎学力をきちんとつけて、中学校へ進んだ時には、更に勉学にスポーツにと活躍して欲しいものです。公文で自己肯定感を身につけて、更に成長していって下さい!」

公文式、「くもんいくもん」の公文式ですが、反復継続学習とその壁を乗り越えたときに振り返ると見える自己成長が最も大事なことかもしれません。
「男子三日会わざれば刮目して見よ」=日々鍛錬する人が居れば、その人は3日も経つと見違える程成長しているものだと言う意味。小学生、中学生、過ぎて振り返るからこそ見える自分の成長です。自己肯定感をつけるために公文を行う、という目的は単なる3分で算数テキストをやりあげる目標の高次の部分に出てきます。

改めて公文の狙う目的を感じます。

今日でHALからのインターン生の活動が終了しました。教育目的を持っていつも接していたのですが、教育はあくまで内面の気付きを与えるもの。10年、20年経って部下やスタッフに指示出す際に、「あのときあんなこと言われたな、その言葉が今言った意味がわかるな」と感じて欲しいもの。

くもんを見て、今更ながらに母の本当の教育の目的を感じました。今更ながらでもありますが。仕事も人生も全て同じかと、教育も人間形成も、「可愛い子には旅をさせろ」も同意義に感じてます。今更ながら。

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