10年以上も前の、クレアネット第3期目のビジョン

ふとしたときに出てきたビジョンとやらの資料です。

いろんなことに何でも必死だったので、今見ても本当に微妙な資料ですが思考や言ってることの理解や実行に進めようとすることはまったくもっておかしくなくて変わっていません。
戻れるのなら、「頑張ってビジョン作っても絵に描いた餅みたいなものになるぞ」と言ってやりたいですが、言ってもまず聞かないのでこけるしかないんです。こけきって角が取れるので、これはこれで仕方ない成長通みたいなものです。学歴とか認知的能力とかとはまた異なるなんか必要ですし、「こいつといたら自分はプラスになる」という感覚でも構いませんし、きれいなビジョンに共感でももちろんOKです。

きれいごとばかりでも難しいですが、やっぱり「一番好まれる会社」「一番役に立つ商品」、「一番顧客に信頼される会社」、そして「会社の組織内スタッフが仕事に誇りを持つこと」、結果として信用や利益が貯まっていく流れや結果、この循環つくりが大事であって経営者の持つ意識はこの循環がきれいに回りながら大きくなるのかが気にすべき点と思います。

ちょっと前に印刷会社で働いていてDTPで起業して若いときに仕事ざんまいで稼いだ人の話を聞きました、もう60歳過ぎの方ですがマックだけでかなりの仕事があって土日も仕事できた話で、今はなかなか難しくなってしまっているそうですが、そういった時代が今なら間違いなく自分もその市場に興味関心を持ち展開しようと検討したと思います。よき市場、伸びる市場、いい顧客、ともに栄える顧客、に軸足を置いて関わる人みんながハッピーになるような循環作りが経営の目標です。

経営手法は大幅に変わりましたが、言ってることや目指す方向は今も昔も変わってません、そんなものです。
当時は頑張って作ってスタッフに伝えたのですけど、この後社員が全員辞めちゃって会社崩壊するんですけど、当時考えたら辞めるスタッフは微妙な顔したり想いを抱きながら聞いていたんだろうなというのと、スタッフの微妙な顔を「何とか情熱で変えよう」と必死でもがいて苦しんでいたのも思い出します。そう考えると無知というのは創業期には絶対必要なものですし、そんな時代を経ても今やっているのは最終的には他者を寄せ付けない気合と情熱、後は至誠というやつだと思います。

確かに手段は悪かったし反省している、ただし昔も今も自分は誠をもってやっている、という意思と誠実さ、みたいなものかと感じています。大人になって学生時代の日記読むような淡い感覚がたくさん。

クレアネット第3期目のビジョン

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