究極の絶望想像を行ってみること

ちょっと前に姫路セントラルパークさんに行ったのですが、このへんがちょうど「浅田農産」さんの近くだという話になりました。

浅田農産さん、今でも覚えていますし、改めてwikiで読んだのですが、経営者になってから読むと何とも言えません。

衝撃的です。

>>浅田農産さん

仕事に人生を費やして燃やしてきた炎、一代で大きな養鶏場を作り、推測ですが私財も投じ当然連帯保証人になって経営者は融資を受け自宅を抵当に入れてリスク抱えながら仕事していたんだろうと思います。
鳥インフルエンザの発生、そしてマスコミの執拗な行動。最後の最後はご夫婦で首を吊って自らの人生に終わりを告げる・・。涙が出てくる感情と「明日はいつ我が身になるかわからない」怖さが交錯します。

経営では「こうすればこのような事態になる」想定がないのと、想定どおりに起こっても耐えれる蓄えも大事です。経営ではいろんな学びあるんですが「ここからは即死だよ!」は誰も言ってくれませんし、弁護士や税理士などの味方と思うパートナーも最後の最後は自分の利益を守ります、当たり前ですしそれが正しいことです。従業員も同じく労働基準法を最後の最後は砦にして攻撃します、経営者にとって孤独や絶望的な現実が来るときは来ます。自分自身も幸いにも過去にこけたこともありますが立ち直って今は再び戦っています。

今経営者の勉強会に参加したり、盛和塾で学ぶことは、こういった最後の最後で自制を保てるかどうか、教訓を得て生きることができるか、だと思っています。
だからこそ「社員がずっと働けるようにすることが経営であり、まさに利他ではないか。」フィロソフィーの学びにもありますが、経営が利他の精神と思えないと本当に大変なんです。

関連しているブログ記事一覧