『木綿藤吉 米五郎左 掛かれ柴田に 退き佐久間』
言ったのは織田信長です、織田信長に仕えた家臣には豊臣秀吉となる木下藤吉郎、丹羽長秀、柴田勝家に佐久間信盛がいたのですが、その家臣にはそれぞれ特徴がありました。
木下藤吉郎である豊臣秀吉は「鳴かぬなら鳴かせてみせようホトトギス」なので、創意工夫があり機転が効き中国大返しの決断など天下を取るほどの武将でしたので、木綿のように丈夫で何にでも使えるという意味です。
丹羽長秀は米なので無くてはならぬ存在、柴田勝家は戦が強い武将、佐久間は退却がうまかったそうで、それぞれ能力の異なる優れた武将がいたので織田信長が活躍できたという話です。
人にはいろんな特徴がありますが、その特徴に従って活躍できる場所をしっかり考えることが大事という話です。
あと、堀秀政の話も。
(堀秀政)いつも泣き顔をしている部下がいた。他の部下はやる気が失われるので追放を願い出た。しかし秀政は「どんな人間も必ず役に立つはずだ。」と。ある日、秀政はその部下を代理で葬式に行かせた。その後「あれだけのお嘆きをくださる代理を頂戴しまして…。」と先方より礼が届いた。
— Takanori Oshiba (@takanori1976) 2014, 7月 26
堀秀政は38歳で病死したので有名ではありませんが、生きていならばきっと大きな大名になったのでは、という話です。特徴を見つけてもらえ、そして力を発揮できる場所を見つけてもらえることは、武将にとっても家臣にとっても本当に大事なことです。織田信長が活躍したのも、三国志になりますが曹操が活躍したのも人材の登用がうまく、まさに適材適所人材活躍の場を作っていたからだと、そんなふうに感じます。大将の価値はそこにある、創業から少しずつやはり考えも心境も変化するものです。