大阪城と豊臣秀吉の最後

大阪城のほとりから、北側のほうからの様子です。
よく織田家や豊臣家ではなく徳川家が250年続いた理由などの比較文書や歴史解説がありますし、何で秀吉は朝鮮に攻め入らなくてはいけなかったのか、というもの歴史書では説明がたくさんあります。歴史も地理も文化も好きなので読みふけったり漫画で読んだりもするのですが、このへんんは何とも何とも言えません。

ただうまくいえないのですけれども、最後は人間力の部分というのは何となく感じます。
秀吉でいえば嫡子の秀頼と淀君になるんですが、秀吉のような人間力があったのかなかったのか、乱世なので何ともなのですけど到底及ばなかったのは間違いないのだろうなと。

失敗したら自分が悪い、うまくいけば手柄は部下のおかげ。
腰は誰よりも低く、目線や志は誰よりも高く。 

こんな理想を掲げて行動と発言が日々一致していればよかったのだろうけれども、淀君が思わず「秀吉公のときの約束を忘れたか!」のような言い方をしてしまった場合には難しいのだろうなとこのへんも推測。歴史漫画では淀君は実に強い女性で描かれているので、秀吉ご存命時はいいけど亡くなるときついですね。

大阪城ランニングするとぼんやりこんなことばかり思ったりできます。

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