南無阿弥陀仏の意味も知らずに来た浄土宗総本山知恩院

京都は八坂神社の隣、丸山公園の北側にある浄土宗総本山知恩院、令和6年には法然上人開祖850年にもなる浄土宗ですが、お恥ずかしながら知恩院さんに来たのは初めて。
浄土宗は法然上人、浄土真宗は親鸞、浄土真宗はお西さん、南無阿弥陀仏を唱えれば誰でも極楽浄土にいけると説いたのが法然上人、高校生の山川の歴史レベルでしか詳しく知らなかったのですが、仕事で近くに来たのと南無阿弥陀仏やお施餓鬼などちょっと触れる機会もあったので知恩院さんに来てみました。

南無阿弥陀仏、言葉は知ってるけど今の今まで何の意味かを知らないままおめおめ生きてきたのですが、意味は
『浄土宗の教えは、南無阿弥陀仏=「お念仏」をとなえて「阿弥陀仏」の「極楽浄土」へ生まれゆくこと(往生=おうじょう)を願うこと』

浄土宗の教え


なのです。

人間は必ず死にます、必ず訪れる自分自身の〈死〉に思いを致すことは、今の瞬間瞬間を大事にしようと思う気持ちにさせてくれます。
南無阿弥陀仏と唱えることで、友達や先輩、ご先祖様がいる極楽浄土にいつでも行けるから、今この現世で南無阿弥陀仏唱えながらあと少しだけ命の炎を燃やそうか、そんな意味でしょうか。人間五十年下天の内をくらぶれば夢幻の如くなり、織田信長が舞った敦盛の歌の一部でいえば50歳まであと7年しかないですし、舞った信長は本能寺の変で49歳で極楽へ旅立ちました。

強い仏教徒で帰依しているわけでもないのですが、ご先祖さまや墓参りなどしているうちに宗派のことや知恩院さんなど気付き、ようやく訪問できたのが今。
長い人生でも折り返しに入っていることを自覚しつつ、まだ残っている現世の行動を悔いなく世のため人のために生きたいと、そんな気にさせてくれました。

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