もし鏑木のことばがウィスキーであったなら

KDDIで昔ですが鏑木のCMがありました、カブラギ、読めません。
読めないというひっかかりは違和感があるので解決したくなるのですが、その気がかりは意識を高めてもらうには非常に効果的なわけです。ツァイガルニック効果ですね。ツァイガルニック効果=すでに完成したものよりも、未完成のものに対して強く記憶が残るやつ、です。

そう考えていくと、このカブラギなんかも正にすでに完成したものよりも、未完成のものに対して強く記憶が残る事 = ツァイガルニック効果。でして。
「もし鏑木のことばがウィスキーであったなら」村上春樹さんの「もしぼくらのことばがウィスキーであったなら」をリメイクしてますが、これなんかも正に気がかりになりますね、春樹さんのエッセイもこんなのばかりですよ。読んだからいいですが、「色彩を持たない多崎つくる」なんかその極み。

『猫を抱くことを極限まで否定する田崎つくる、その弟田崎まもる、その子供田崎あゆむ』 

などになると、猫もそう、否定もそう。ついでに名前が、つくる、まもる、と来たなら「しげる」、「みのる」、で『る』でまとめないの?というツァイガルニック効果。恐るべしです。鏑木効果なんかはたまにあります。これも広告。

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