四十、五十ははなたれ小僧

四十、五十ははなたれ小僧、
六十、七十は働き盛り、
九十になって迎えが来たら、百まで待てと追い返せ。渋沢栄一翁曰くです。

不惑40歳とまた取り方が異なりますが、上司の仕事を全部奪えと言われて死に物狂いで仕事していた20代とはまた今は違います。
かなりガツガツしていたでしょうし、そんな子供を面倒くさいと思いつつ嫌いつつちゃんと構ってくれて一目置いてくれて扱ってくれた先輩大人に今でも感謝です。自分が気合入れて勝負して必死に戦ってきたといっても結局は今の頑張りだけではなく、昔の必死さや頑張りや昔の自分を見て可愛がってくれた大人たちの目利きのおかげだと今本当に感じるわけです。

そして今や若い人を自分が見定めて見極める側になっています。別に業務がデザインだろうがマーケティングだろうが、母校が一緒とか地元が一緒とか個別の業務に事情があるにしても、結局はその人の神経がどこに向いていてどこに向かおうと思っているのか理解できるようになってきて、そうすれば未来が見渡せるようになってきました。だからこそすごく否定的な話をしますが、本人の資質や諸事情を考慮しても本当に運が悪い方向に行こうとしてるなあ、と感じることもあれば、本当に運だけでうまくいく場合もあるんだなというのもあります。

周りを踏み台にしてのし上がっていくのも自然界と一緒なのでいいんですが、同じように踏み台にされるときに滑って転ぶのが見える、というのもあります。自分の経験やたくさんの方をずっと見てきている分、成功の法則のようなものは未だにわからないのですが、成功はしないかもしれないけど失敗はせずにすむようなことは何となくわかってきました。優秀だからという理由は全く違う分野にあることがらであって、もっともっと違う部分です。

四十のはなたれ小僧、は何となくですが少しずつ。

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