#阪神・淡路大震災 #26年

当時は17歳で高校二年生、飛び起きて実家の天井の電気がゆらゆらしていたのを今でも覚えています。
和歌山でもこれだけ揺れたからよっぽど震源地はすごかったのでは、とすぐ思ったのですが、神戸や京阪神の被害の大きさにただただ驚いていたのを覚えています。

それから1年後、今日のような当時でいうセンター試験があり、受験シーズンが始まり桐蔭高校でセンター受けて、関大受験で大阪に来て、横浜国立受験で全部終わり新幹線で帰ってきた新大阪。
全部の試験終わった後にふっと「神戸に行ってみよう」と思って乗ったJR新快速、芦屋、三宮、長田、明石方面まで行き絶句、で今でも覚えています。1年経ってもまだまだ復興も進んでおらず、震災の爪跡はしっかり残っていて当時の震災の凄まじさがはっきり残っていたのですが、当時震災に遭われた方への思いと心の中で「震災の復興の助けになるような、そんな大人にならないと」と進学への思いを強くしたものです。

あれからもう26年も経つのですが、大人の立場になり神戸も頻繫に仕事で行き来するようになり、当時の京阪神の状況を経営者さんに聞く機会や経験も多くなり、今になって想いが強くなります。

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