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「ジャパネットたかた」さんの引退宣言

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『SEOマーケティングの未来を読む vol.137』
「ジャパネットたかた」さんの引退宣言

【1】 マンガがいつの間にか180回

WEBマーケティング4コマ漫画、というものを毎週1回
更新で進めているのですが、いつの間にか180回。

歴代で言えば3年以上の継続になります。

>> WEBマーケティング4コマ漫画

3年継続するのもなかなかなのですが、
会社継続で言えば100年とか200年続いている会社もあって感動することもしかり。

継続は力なり、今回はそんな内容の継続関係のテーマです。

【2】 WEBマーケティング4コマ漫画

第183話
無料サイトの裏側
無料サイトはどうやって運営しているのか、気になりますよね。広告で利益を上げている無料サイトが多いようです。

第182話
アドセンス
無料ブログや無料のサービスはこのアドセンスを設定することで利益を生み、 さらなる投資に回していくというビジネスモデルが多いですね。

【3】「ジャパネットたかた」さんの引退宣言

様々な人間が様々な目的でインターネットを利用しています。

テレ ハイテンションの甲高い声と独特な語り口調で社長自らなされる商品説明、そして「金利・手数料全額負担」という独特なビジネスモデルを武器に顧客をつかみ、通販業界で戦っているのが通信販売大手「ジャパネットたかた」です。

(ちなみに金利手数料の負担に年間約50億円かかるそうです!)

家電販売が苦戦を強いられAmazonをはじめとするネット通販が台頭する現代では大変なことだと思います。
ジャパネットたかたの創業者・高田明氏は1986年に前身となるカメラ店「たかた」を設立し、自ら商品説明をし続け、2014年12月期には年間売上高約1538億円にまで成長させました。

そのジャパネットたかたの名物社長、高田明氏がテレビ東京「快適ショッピングスタジオ」に出演し、2660回目の放送で引退することを発表し話題となりました。

今回はこのジャパネットたかたと、高田明氏の引退についてです。

ジャパネットたかたの軌跡

ラジオショッピングからテレビショッピングへ進出し、今では日本を代表する通販企業に成長しているジャパネットたかた。

1986年、高田明氏の父親が経営していたカメラ店から独立し、長崎県の佐世保市内に街の小さなカメラ店としてスタートしたのがジャパネットたかたの始まりでした。

転機となったのが1990年のラジオショッピング。
知人に依頼され、地元であるNBC長崎放送のラジオ中継車を使ったラジオショッピングでコンパクトカメラを販売したところ「5分で50台」「数カ月分の売り上げを1日で達成」という驚異的な販売数を叩き出したそうです。

ラジオの持つ影響力を目の当たりにした高田明氏は、通信販売へ進出を決意。

NBC長崎放送でラジオショッピング番組をスタートさせました。
1991年には北海道から沖縄まで全国のラジオショッピングネットワークが完成。
1994年にはラジオだけでなくテレビショッピングにも進出。

当初はローカル番組だけだったものの、ケーブルテレビで各地に番組を持つようになったことと、社長自ら出演し、ハイテンションの甲高い声と独特な語り口調で商品を紹介するあの販売方法が話題を集め、知名度は全国区に。

ここからジャパネットたかたの快進撃が始まったのです。
1999年、社名を「ジャパネットたかた」に改称。

2000年、カタログ通販事業とインターネット通販事業もスタートさせ、ラジオ・テレビ・紙・インターネットの日本全国をカバーする4媒体のメディアミックス体制を構築。

2001年、自社専用の本格テレビスタジオを長崎県佐世保市内に設置し、自社スタッフで番組すべてを制作するように。

2012年、東京オフィスを開設し六本木高層ビル内にテレビスタジオを設置。
2010年までジャパネットたかたは右肩上がりで成長し、
2010年12月期には1789億円という過去最高の売上高をしたそうですから、まさにトントン拍子ですね。

しかしその後、地上デジタル放送に伴うテレビの買い替え特需の反動によるテレビ販売の激減やネット通販の台頭、スマートフォンの普及でカメラやカーナビの販売の不振などにより、2011年12月期の売上高1531億円、2012年12月期1170億円と2年連続で大幅な減収という創業以来最大の危機もあったそうです。

主力商品であり、全体の半分以上を占めていたテレビの売り上げが、最盛期の95%減、すなわち5%まで落ち込む状況だったといいますから、絶望的と言ってもいい状況だったと思います。

しかし、見事にそれも乗り越え、ジャパネットたかたは2014年12月期の売上高が約1538億円になったのです。

「成功の秘訣は「商品を見極める眼」と「顧客目線で魅力を伝える話術」

一代で年商1000億を優に超える通販会社を育て上げた高田明氏。

成功の秘訣は、ラジオ・テレビ・紙・インターネットの日本全国をカバーする4媒体のメディアミックス体制や、金利・手数料全額負担、商品の仕入れからアフターサービスまでを自社で行うことで高齢者から支持を得た自前主義だと言われています。

しかし最も大きかったのは、高田明氏の「商品を見極める眼」と「顧客目線で魅力を伝える話術」だったと言われています。

高田明氏の「商品を見極める眼」

家電量販店や通販最大手のAmazonで揃えられている商品は何十万点にも及びます。一方、ジャパネットたかたは、およそ30商品で売上高の8割を占めるそうです。

「これは面白い」と高田明氏が睨んだ商品を現金で大量に買い付け、一気に売りさばく。これがジャパネットたかたのスタイルです。

高田明氏に商品を見極める眼がなければ、絶対に成功しなかったでしょう。

高田明氏の「顧客目線で魅力を伝える話術」

そして、 ジャパネットたかたの最も大きな特徴である高田明氏のあの話術。

ハイテンションの甲高い声と独特な語り口調だけが高田明氏のセールストークの特徴ではありません。

「商品を買うことでどのようなメリットがあるのか、生活がどう変わるのか」ということを、高齢者にもイメージできるように、商品の特徴を噛み砕いて高田明氏は、情熱を持って紹介していきます。

このセールストークの根本にあるのは一人よがりにならない「顧客目線」です。

顧客の立場で、商品の魅力を語ることができる。

実はこれが高田明氏の話術の最も大きな特徴なのかもしれません。

経営危機から突然の「最高益を達成できなければ社長を辞める宣言」

先程も説明したとおり、ジャパネットたかたの売上高は2010年度の1789億円をピークに、2011年12月期の売上高1531億円、2012年12月期1170億円と2年連続で大幅な減収という創業以来最大の危機を迎えています。

理由はネット通販の台頭やテレビ販売の激減、スマートフォンの普及によるカメラやカーナビ販売の不振ですから、仕方のないことだという人もいるかもしれません。

しかし、高田明氏は勝負に出ました。
2012年に東京オフィスを開設し、六本木の高層ビル内にテレビスタジオを設置した上で、こう公言したのです。

「2013年度に最高益を達成できなければ、社長を辞める」その結果はどうなったのでしょうか。

2013年12月期、ネット通販の台頭やテレビ販売の激減という逆境を乗り越え、ジャパネットたかたは過去最高益となる154億円を更新したのです。

しかし皮肉なことに、困難な状況を打破し目標を達成した息子や従業員の姿を目の当たりにしたことで、高田明氏は引退を決断することになったようです。

予定通りに行われた引退宣言

それ以降も全役職からの退任を宣言していた高田明氏は2015年、
「自分が元気なうちに後任に見合う人がいるなら任せていくことを前から考えていた」

「29年間代表を務めてきたが、役目を終えた」
「退任にまったく悔いはない。ちょっと離れたところから応援したい」

とジャパネットたかたの創立記念日に当たる1月16日付で社長を退任し、長男の旭人氏を後任とすることを発表します。

新社長に就任した長男、旭人氏については、「とにかく努力家。不安はゼロではないが、期待の方が大きい」と持ち上げました。

そして社長交代後、テレビ出演は1年限りとし、今後は高田明氏が代表を務める新会社を通じて講演活動などを行うとしました。

そして2016年1月15日、テレビ東京「快適ショッピングスタジオ」に出演し、2004年から2660回目の放送で、予定通り引退することを発表したのです。

2016年はジャパネットたかた創業30周年の節目にもあたるそうですから、引退を決意するにはよいタイミングだったのでしょう。

高田明氏はこう語っています。
「昨年1月15日社長を退任し、この一年間はテレビの制作とかスタッフと一緒にもっともっと感動を伝えるにはどうしたらよいか一生懸命勉強しました」

「私も67歳になりましたので、テレビ出演も一区切り付けたいと、基本的にはスタジオ出演は最後になると思います」

惜しむ声と危ぶむ声と

高田明氏の知名度は全国区ですから、当然テレビ出演引退宣言は話題になりました。

「長い間お疲れさまでした」「まだ続けてほしい」という引退を惜しむ声と、

「高田明氏の代わりは誰もできない」

「高田明氏ありきのジャパネットたかた」「やめて会社は大丈夫なのか」
「引退と同時に業績悪化するのでは」といった経営を危ぶむ声がインターネットには溢れました。

また、中にはバラエティー番組やワイドショーへの出番を期待する声もあるため、引退後も動向が注目されそうです。

帝王学を学んだ後継者

一代で会社を築いてしまった会社の場合、後継者問題はより大きなものとなります。

ましてやジャパネットたかたのように、個性的なキャラクターとカリスマ性で社長が有名だった場合はなおさらです。

後継者である旭人氏は東大教養学部卒業し、2年間野村証券に勤務した後、ジャパネットたかたに入社し、高田明氏の側で帝王学を学んできたそうです。

テレビにも出演するのか気になるところですが、父の高田明とは違い、テレビショッピングには出演せず経営に専念するのだとか。

旭人氏は「チャレンジデー」というラジオ・テレビ・チラシ・ネットなどすべての販売チャネルを使い、1日限定で1商品を徹底的に販売する取り組みを行い、大成功をおさめたそうです。

これにより、今まで得意としてきた娯楽に関する家電、すなわちテレビ・レコーダー・カメラなどといった黒物家電を大幅に絞り、洗濯機・電子レンジ・冷蔵庫などの白モノ家電を増やすことにも成功し、社の構造改革まで成し遂げました。

また、新たに設けた「衣食住」の分野に健康器具や食品といった商品を増やしたそうです。

その結果が過去最高益だったというのですから、長男だからという理由で後継者に選ばれたわけではないようです。

これからジャパネットたかたがどのような変化をしていくのか興味がわきますね。

まとめ

経営者の中には、特に会社を一代で築き上げたような経営者は、えてして社長の地位にこだわる人がいるものですが、周囲からも続投を望まれ惜しまれつつも、社長の座を譲る高田明氏にとても潔いものを感じます。

会社というものは変化が大事だと常々思っていますので、こうした潔さに憧れます。

辞めろと言われてもなかなか難しいものです。

ただ、この旭人氏の成果を見たときに、「もう大丈夫だ」と安心したのかもしれません。

会社を一代で築き上げたような経営者さんは人の力を見抜く力も素晴らしいものがあるはず、です。

ご本人に聞かないとわからないのですが、そんな力を見抜かれたのかなと、なんとなく感じます。

(記載 谷 美輝)

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