フランクルとマズローの5段階欲求説

有名なマズローの5段階欲求説があります。

生理的欲求,安全の欲求,親和の欲求,自我の欲求,自己実現の欲求 と段階を踏んで高度の欲求に上がっていくというものです。
会社を起こした時などは生理的欲求、まずは何とか食べないと、という欲求に過ぎませんが、一気に高度の欲求に上がってきました。

ただ、自己実現の欲求を果たしてそれで終わりでしょうか。
親孝行したい、上場したい、従業員に満足させたい、などの欲求をベースにしていくと、仮に従業員が諸事情あって退職した際に大きなトラブルを引き起こした際にはそのトラブルが「欲求に反する嫌なもの」にしか感じません。

ヴィクトール・フランクルの言うように、自己実現だけではない欲求ベースにないもっと高度なもの、すなわち、

『いまではもう、「人生は私に何を期待しているか」と問うだけです。
人生のどのような仕事が私を待っているかと問うだけなのです。』

私が何かを求める、ではなく、人生が私に何を求めているのか、もう少し変化して
会社が私に何を求めているのか、その価値基準が非常にしっくりきます。

顧客満足、従業員の満足も大事でしょう。ただ、
「小善は大悪に似たり、大善は非情に似たり」 
小さい子にお菓子をあげれば喜ぶが虫歯になる、悪いこと。時には厳しく接すること(=非情)が、長い目で見て本人のためになる(=大善)。

という部分などは正にこのフランクルの考え方がしっくりきます。会社の代表として厳しく。マズローさんの欲求だけではいかんのです。

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