創造的破壊とかなんやら

創造的破壊=企業家のイノベーションによって,古い経済・経営体制は破壊され新たな経済発展が生じること。

創造的破壊をできるほどの規模でもないのですが、これは進化の過程の1つでも起きるものなんじゃないかって日々根拠なく感じています。自己革新を行っていくと自然にこの創造的破壊が生まれるわけで、自己超越現象が生まれます。システムが一定限度の限界を超えた瞬間に、「もう無理!」となって自己否定が生まれるわけです。

制作現場でのパンク、身体の不調、睡眠不足のための生産性下落、また、NASが吹っ飛ぶなどがあってミラリングなどもようやく行うわけで、本質的にその今を否定すれば場合によってはきちんと創造的破壊にたどり着く、ってなように感じているわけです。根拠なく。成功している法則などを見ていると、人材的にも設備的にもコスト的にもそれなりに失敗を繰り返せば気付きも得ることが出てきています。

一回自分全部否定すれば結構見えます。

最近とある社長に
「昔やけどな、社員が全員独立しよってな!大変やったわ!」
話を聞いていると社員さんは独立したくなるのもわかりますが、納得できたのは
「まあ、そこからいろいろ変化したし、まああれは今は良かったわ!」
3軒目ハシゴしてようやく出てくる言葉など聞くと、それも納得できます。

創造的破壊は一回全部否定入らないと気付かないもの、人間は人の痛みを自分の痛みのように感じるのは難しいのと、人の失敗は「おれは特別だからまた別」と考えることができます。この考え方も破壊したほうがいいかと最近はすごく感じます。

一回まっさらにしてゼロで見てみると、意欲はあってもできないことだらけ。
だからこそベクトルや理念や目的が必要になってくるわけです。難しく言えば。

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