55名いた小隊のたった3名の生き残り

盛和塾で稲盛塾長が言っていた言葉の中にときおりワコール創業者塚本さんの話が出てきます。
塚本さんは一代でワコールのような企業を創り上げた偉大な事業家ですが、その塚本さんは戦争でビルマに徴兵で行きましたが、その中で、55名いた小隊のたった3名になり何故だか生き残ったという話です。55人のうち52人が死に、自分だけが生き残ってしまった、わけです。

『塚本幸一はインパール戦で、小隊55名中生き残った3名の中の1人であった。バンコック港を出港し、一日一日と日本が近づく船中で大きく悩んだという。今自分は複員船に乗っており、再び帰ることがないと決意した日本に帰る帰途にある。特に最もお世話になった伊藤中隊長はエリパンの戦いで戦死され、その後は自らも死んでやろうと無茶苦茶と言われるような、命知らずといわれる行動をとったにも拘わらず遂に死ねなかった。何故神は私を生かしたのであろうか。3日程悩んでのこと神のお告げのようなものを感じた。それは生きているように見えて実は生かされているということだ。しかもそれは私のために与えられた生命ではなく、祖国の再建復興の一翼を担うという使命をもたらされて生かされたのだ。私は生命ある限りこの使命達成のために働き続けようという決意が湧いてきた。急に周辺が明るくなり「よしやってやろう」と勇気が湧いてきたという。塚本は日本に帰ると寝食を忘れ汗まみれになりながらアクセサリーの卸商を営む。そして現代のワコールを創業する・・・』 引用:http://ameblo.jp/tamiyataku1/entry-10594378826.html

こんな体験に比べればいろんな失敗なんて、ぬるま湯です、ぬるま湯。仕事しんどいとかもぬるま湯。
うちには「死ぬこと以外かすり傷」と貼ってますが、それはぬるま湯に浸かってたら今はよくてもどこかでツケが回ってきます、と思うんです。何となくですが。
ワコールさんはこの塚本さんが戦争から帰ってきた日、1946年6月15日を、ワコールは創業の日としているそうです。そんな気持ちを常に持つことが大事です。

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