糸井さんのある没になったコピーの思い出

最近コピーに関してイトイさんがうちのブログによく出てきてます。

クレアネットのいろいろな格言ブログ

担当は類まれなライティングセンスだけでなく、絵画などアートに長けた平成葛飾北斎女子。

平成の葛飾北斎、だけでも十分すごいのに、さらに性別が異なる。
とんでもない人物像です。

これはタイトーのキャッチコピーでゲームのやつと思ってたら、ナムコでしたね、30年前の記憶はさすがにあてになってません。ナムコとケムコの違いがわかりますが、今になると、タッグチームプロレスリングで大技をかけるときのBボタンを7回押すのか、8回押すのかが忘れています。あの大技が失敗したときの、Bボタンを3秒間に押せなかったときの元に戻った瞬間怖いですね。遊びをクリエイトするナムコ。当時から知ってましたが、今みるといいコピーですね、webをクリエイトするクレアネット、模倣満載でしっくりも来ない、これは怖い話です。

で、この糸井さんの話で好きな話があります。
すごくわかる話の1つで、今改めて読んでもいい話のエピソード。

ある没になったコピーの思い出

広告や言葉を紡ぐ仕事をしているものにはこの話は沁みます。「嫁ぐ」言葉には深い意味があります、バカリズムのように「トツギーノ」で笑えるのはお笑いだからであって、企業広告になるとまた異なります。糸井さんの言葉が響くのは理屈というよりもそこには人間本来の感情に触れるから。人には想いがあって、大きな正義感を使命感、そして小さな見栄や恥じらい、普段は引き出しに入っている懐かしい想い出があります。リスティング広告やデザイン、キャッチコピーなど仕事は、全て言葉にデリケートな仕事。

開高健さんの有名な『「人間」らしくやりたいナ』 のコピーのように、「な」を入れるだけで、「ナ」とカタカナにするだけで、何とも変わる関係性があったりするのが妙味であって、「ここ悪いけど修正してもらえるかナ(ナはたぶん片仮名で言ってると思われる)」と言うスタッフの修正依頼などは、それだけでデリケートを通り越しています。恐るべしです。何も考えていないようであって、それが自然に出てきているところが天性のものになっているとすれば、天才の域に達しています。

良質の言葉に多く触れてそのエッセンスを少しでも血肉化したいものです、言葉がものをあらしめる、ですから。パクリエイターからクリエイターへ、道のりは長い。

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