徳川家康三方ヶ原戦役画像

三方ヶ原の戦いですが、徳川家康が31歳のときに武田信玄と戦い惨敗した戦いのことです。
あまりにも惨敗で部下を失い、自分の浅はかさに気付いた家康はそのときの絵を部下に描かせて生涯持っていたそうです。

そのときの絵がこの徳川家康三方ヶ原戦役画像

慢心の自戒の絵、だそう。
徳川家康は昔は今川家や織田家に人質としていた時代もあったのですが、そこから桶狭間の戦いを経て、三方ヶ原の戦いなどを経て武将に成長し、そして徳川幕府の礎を築きます。自戒の絵を常に持ち、慢心を防いだ家康。

また家康には孕石主水のエピソードがありますが、それはこちらに引用。

「永禄11年(1568年)の武田信玄の駿河侵攻で、今川家から武田家の家臣となった。天正9年(1581年)3月、高天神城陥落の際に家康に捕らえられ、家康に切腹させられた。今川家臣時代は人質時代の徳川家康と屋敷が隣り合わせで、「三河の小せがれ」と家康を軽侮するなど散々な仕打ちを与えてきた。このことを覚えていた家康は、切腹させる際にそのときの恨みごとをたっぷりとぶちまけたという。」

→ 不遇な時に受けた好意は特に嬉しいもので、忘れられないものであるが、逆に、不遇な時の、しかも幼い時の恨みもまた忘れえぬものである・・・といったエピソードである。どちらも人間のやること。行為の善悪は問えませんが、不運でも幸運でも変わりなく生きたいもの、そう感じます。

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