国鉄D51でごいちから新幹線を作った島秀雄

新幹線を作った島秀雄さん、角川まんがシリーズで子供向けと思いきやの大人が読んでも沁みます。
戦争を経て弟を亡くし、息子を亡くし、なぜ戦争で生き残ったのかを考える島さん。何のために生きるのか、何のために仕事をするのかという永遠の悩みにはっきりした指標が生まれます。
余談なのですが、ワコールの創業者塚本さんはインパール作戦の失敗により部隊の55名はわずか3名になり命からがら日本に帰ってきたのですが、そのときに自分が生きているのではなく生かされている命なのだと悟り、生かされている以上その役目があるはずで、死んだ52名の戦友に代わって、世の中のために生きていくことでその命を全うしよう、と思ったそうです。

秀でた死生観はその経験した人でないとわからないでしょうが、島さんもそのような想いが強かったのだろうと、その時代から活躍した松下幸之助さんなども同じ、想像がつきます。
そして新幹線も島さんは一度自分が起こした事故のために国鉄を離れているのですが、十河さんの強い説得により新幹線の完成に尽力します。

素晴らしい仕事と今の新幹線の魅力については当然として、島さんがどうして新幹線を作るにいたったのか、十河さんの熱い思いと技術者研究者の熱意はどんな仕事に通用するものと思います。
新大阪駅は、土日には多くのちびっこ電車ファンがいますが、0系から今では700系にE5系など多くの新幹線が生まれていますし、台湾旅行のときに台北から台中、高雄まで2時間弱乗りましたけどあの台鉄も新幹線とは気付きませんでした、オレンジ色でかっこよかった記憶があります。

新幹線は線路が広く車体も安定していて席は5シートあるのですが、読んではじめて知ったのが新幹線では死亡事故が運転はじめて今までまだ1回もないとのこと。
安全を追求する島さんの想いが今でも貫かれているのだと。最後にかっこいい新幹線を。

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