公文式のあゆみと自分の感動と経験を元に伝えること

新幹線の話ですが、東北新幹線はやぶさと秋田新幹線のこまちは連結していて、途中で切り離されてお互い別を走るようになっています。大阪で言えばJR阪和線の紀州路快速と関空快速の日根野切り離しみたいなものです、日根野で乗っていると外すときにちょこっと「ガコン」と言って電車が揺れるあれです。鉄男さんがいる中で念願のその連結をはっきりみることができました、ちょっと感動です。

ちなみに公文いくもんの公文式、母が未だ健在で活躍中の公文式ですが、高校の数学教師だった公文公(くもん とおる)が小学2年生の長男のために計算問題をルーズリーフに書き、自習形式の学習を開始、息子にさせていたことからスタートして今の形になってきたという話を聞き、誰よりも愛情をもった父が息子のために自習形式で学びができるようにしたのが原型で今に至るそうで、それは学習方式としてもメソッドとされるものだとしみじみ思います。自分ならこうして教えたい、伝えたい、情熱が息子に伝わり、そのメソッドが素晴らしいので形となって「くもん」で活きていく、自分の経験や想いや工夫やうまくいった結果など全てが凝縮されていての公文だからこそ、全国だけでなく世界にも広まり成果をあげてるんだなと。

結局文字を読んだとか何かをみたなどの薄い知識だと、その語る側も薄いわけで経験を元にした反省や改善や結果や行動などからの話は違うわけです。
百聞は一見にしかずというのですが、このこまちとはやぶさの連結も同じくそうで、これはこれでまた誰かに伝えるだけの価値がある感動なわけです、自己責任で結果責任踏まえて感覚で飛び出して必死のパッチでもがきまくれば食料無くなり餓死寸前になって絶望しても結局生きればその経験もかけがえのない財産なわけなのだから、全力で突っ込めばいいのでは、などなど思うわけです。

10万の広告費を一瞬で飛ばしたこともあるし、最高のパフォーマンスをあげた記録も含め、毎日毎週毎月の数字とにらめっこしながら日々の微調整改善の頭を使った経験も全て、今に血肉化します。
公文式のように「いいものはいい、自分でも経験したし顧客でも経験したし、これはおすすめしたい」というものを提案したいものです。少なくともメーカー、及びサービスとして立ち居地がいるのならば。

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