稲むらの火の濱口梧陵さん碑

和歌山県は海沿いに町があるので地震で津波が来れば大変なことになります。田辺市ももちろん、学校だって実家だって市役所だって海沿いのいいところにあって自然環境はいいところですが、津波だけで言えば避難するといっても愛宕山に登るのか、高山寺に登るのか、第三小学校の山のほうにいくのか、などなど江川とか文里とかどうなるんだろうとかとか思うわけです。
幸い新万までは津波は来ないのでしょうけど、というわけで仕事の関係で和歌山県庁に行くと発見した人物。初めての県庁だったので見ると「濱口梧陵さん」でした。濱口梧陵さん。耐久高校作った人です。

ヤマサ醤油さんのサイトにもありました。広川村なので、今の「広川ビーチ」駅のあの辺りの話です。
>>戦前の国定教科書にものった「稲むらの火」

濱口梧陵さんについては以下引用。

1854年(安政元年)11月4日、5日の2回にわたって襲った南海の大地震に際し、偶然故郷の紀州・広村(現在の広川町)に戻っていた梧陵は、海水の干き方、井戸水の急退などにより、大津波が来ることを予期しました。梧陵は村民を避難させるため、田圃に積んであった収穫された稲束(稲むら)に火を投じて急を知らせ、村民の命を救ったといいます。

梧陵さんは人命を救っただけでなくその後村の復興に私財を投じ、将来の津波の危険を回避するために堤防を作ったりもしましたし、医学研究所を作ったりなど町に村に人に投資を行ったそうです。
広川町には今「濱⼝梧陵記念館」があります、知りませんでした。機会あれば立ち寄りたいと思います。

■ 濱⼝梧陵記念館 
https://www.town.hirogawa.wakayama.jp/inamuranohi/

■ 梧陵と稲むらの火~「世界津波の日」はじまりは稲むらの火~【和歌山県広川町】

仕事感にもよるのですが、こういった立派な人は知られてないけどたくさんいます。
仕事でお金を稼ぐのも大事、後世になってその行動や実行がいろんな場所で称えられることはもっと素晴らしいこと、そしてネットの仕事をしているのでこういった情報を広めることが使命にも似た大事なことと思っています。
前に台湾で巨大ダムを作った日本人「八田與一さん」のことをブログで書きましたし、研修旅行で見てきましたが、旅行などでの非日常時にちょっとでも触れてほしいなと思います。

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