民事訴訟法の上野泰男先生と思い出


※ 弁護士さんでも弁理士さんでも、関連している教科の法律を全部暗記しているわけではありません。
記憶をたどるものではなく、問題となっているポイントが法律の解釈によって分かれる争点を知っている、だから法律問題を最適な解決できるわけです。

最近ふとふと先輩の方と話する機会があって、「刑法の中先生」など言う言葉を聞きちょっと嬉しくなったりしましたが、刑法の結果無価値の山口先生が最高裁判所裁判官になっていたのにも驚かれていました。
ぼくも「え!」と思ったのですが、今でも山口先生が来て話されたときに左の薬指にきらんと光る結婚指輪の輝きぶりを忘れれません。

そんな先輩の方との話の中で学生時代に「民事訴訟法」の勉強を行うことは本当にダイナミックでアカデミックの極みと言う話を聞きました。表見代理とか権利能力なき社団とか、訴訟物とか本当に権利主体になってあーでもないこーでもない言うようになって初めてリアルになってくるんですが、さらに執行法まで行くとアカデミックすぎて結構きついと思うのです。
なので今の今、社会人になってトラブルなどもひととおり経験したので、もう一度上野先生の話を聞くのは最高にエキサイティングな気がしますが。

その雑談の中で民訴の上野先生ゼミや授業に聴講してましたと自慢話して、さらにゼミ必須違うのに張り切ってワープロ5万で買って客観的帰属と危険引受書いた話をしたら、大笑いになったのですが信頼性があがりました。これも上野先生のおかげです。当時は上野先生が司法試験委員されてたので、試験委員されるには何かしらの秀でている部分があるはず、能力がある方はどういった分野でもその能力が目立ってしまい優れた結果が出る、と勝手に昔から思っているのですが、そういった感覚でゼミに混じり参加して本当によかったと思います。

何でか覚えているのはゼミ生のOさんが就職決まり、とある銀行に決まった話をさらっとした後
「あ、おめでとう。あの銀行はやんちゃだからね~。Oさんにはちょうどいいか」
などなどさらっと言っていたのを覚えています。今でも思うのですがこの些細な会話こそが最も学びの宝庫なんではないだろうかと。本音の一言が真意を突いているので。自分は意図的にそんな環境のほうに行こうとしますが、そういった環境のほうが後々振り返っても絶対にいいはず。

スタッフでも、勉強もしない、本も読まない、土日も遊ぶだけ、自らを高めるとか行動しない、資格も取らない、何度言っても試験落ちる、休みが待ち遠しい、そんな感じなのも人が増えれば仕方ないし、あまりやらなくても別にいいんです。今クレアネットでは試験合格時には寸志とか合格受験費用は会社負担などやってるけど、試験費用も勉強費用も出していたときにweb解析士試験を3回落ちて合計4万5000円くらい会社負担になったことがありました。

笑い話ですが、「先日が結婚式だったんで、お付き合い程度にお酒をたしなんのが駄目だったですね、敗因です」
など言うので、この不合格時にもサポートする制度が変わってしまいました。

こういう経験があって今のカタチになっているのですが、やらなくても別にいいけど、いざスタッフがやりたいと思ったときには思う存分やれる環境 こそが最も大事ではないのかと。24時間、48時間ぶっ通して仕事はさすがに困るけど、夢があって目標があれば16時間の勉強も別に辛い記憶はありません、試験落ちたのは辛かったけど、夢があり目標あって腹くくったら別に辛くないんです、そうでなくて「辞めようかな、他の業界のほうがいいのかな、せっかく採用されたからあと3ヶ月だけ頑張ろうかな」などの不安定時期のほうが150倍しんどいです、心の辛さは身体にも比例します。

社内環境でも意識的に創っています、やりたい思うことは実現できる環境。手を上げればやれる環境、上げなければずっと何もない、これが最も正解と思います。

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