[盛和塾] 機関紙マラソン 32号


[盛和塾] 機関紙マラソン 32号

引用 株式会社カナック 大西大介様

水道工事部門に配属になって、設計、現場、管理、営業とあらゆるところに顔を突っ込んでいるうちに、部の様子が変になり、上司や社員たちから距離を置かれるようになりました。挙句の果てには、全員から「辞める!」と申し出をされる始末でした。

私がいつも使っているのは、「人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力」という塾長の教えです。ここで分かったのは、目的をはっきりと示し、知らせる必要のある情報をきちんと知らせれば社員は頑張るということです。

【気付き】

社長は典型的な二代目として会社に入ってきて、みんなから総スカンを受けますが、何度も機関紙を読んでいると解決方法が見えます。

仕事熱心、商売熱心で計画を立て率先して倹約を実施していき、早寝早起き、仕事を先延ばしせずに、仕事に専念することが大事だということです。

一緒に会社を作っていくことに、誰よりも行動を行い、実践することでようやくみんながついてくるものです。率先垂範することの行動、そして有言実行することで得られる信頼感をもって取り組む必要性を感じました。

引用 ブックオフコーポレーション株式会社 坂本孝様

「中古」というマーケットは隙間産業であって、新品を扱っている業界が昔ながらの古い体質であればあるほど、ビジネスチャンスは広がるということでした。

私が感心するのは、仕入れの五倍の値段で売るという発想です。

【気付き】

ブックオフの坂本さん、今は「俺のフレンチ」など別事業でも成功している経営者です。
着眼点も気付きもすごいんだろうな、感じます。天才の人です。

ビジネスを発見してどんどん進んでいくパワー、と、その組織を広く万人ができるようにしていける実務家的素養、と考えると、どっちもやれる人はまあいないと思います。
たとえできても結構大成しないような気がしていて、自分の慣れない部分を任せることのできる人がたくさんいること、そんな気がします。

このあたりの坂本さんから今の坂本さんを見ると、そんな風に思います。

引用 財団法人東京顕微鏡院 下村満子様

私自身のモットーとしては、成果の三分の一は社員に還元し、あとの三分の一は内部保留、そして残りの三分の一は社会への還元と思っています。

【気付き】

この発想は別の社長も言ってました。
均等に分配することで、全ての方面に納得感と充実感が生まれる話です。
3分の1をスタッフ、残りを会社、最後に税金という社会に貢献です。

引用 大阪エンジニアリング株式会社 中村雄一様

父は自分でも言っているように、経営者的能力はゼロに近い、大変不器用な職人気質な人間だと思います。しかし、非常によく働く人です。そして、自分課せられた経営者としての職務にじっと耐え我慢してきたと思います。

また、母もそうした父を盛り立て、特に専門知識を持っているわけでもないのに経理や資金の資金繰りの実務をこなし、海千山千の銀行の方と渡り合っていました。そんな両親を、私はたいへん誇りに思い、尊敬しています。

【気付き】

何度なく出てくる中村さん。

両親への感謝が生まれると、ようやく今まで批判的に見て感じていたものが、今までなんて素晴らしかったのだと今あることの素晴らしさに感動が生まれるのではないか、そんな風に思います。

コップに水が半分入ってるのをどう見るのかという話ですが、
・水が半分しか入ってない
・水が半分も入っている
と感じることは両方できますが、今の充実があってもっと頑張ろうと思うのでは。と。

引用 『京セラフィロソフィ』真髄をひもとく

「車も自分の家も持っている物は全て売りました。そこまでしても資金繰りがうまくいかないので、もう諦めざるを得ません」

そう聞いたなら、私は、次のように言ってあげたくなるのです。

「何も車がなければ販売ができないということはないじゃありませんが。自転車があるでしょう。朝から晩まで自転車をこぎまわって注文を取りに行くこともでいるのだから、まだ十分やれるはずです」

【気付き】

もうだめだと思った時が仕事の始まり、フィロソフィに言葉があります。
自己破産してもまだやれます、そんなどん底を知った上で取り組むことは仕事に迫力がでます。金がなければ自転車、自転車なければ歩いてでも注文を取りに行けばお金は生まれます。もうだめだと思った時に思い出します。

引用 太陽ファスナー株式会社 藤田敏光様

実は、私には大変仲の良かった弟がいて、ある有名な建設会社に就職しました。ところが高知の現場に就任した直後、台風の被害で石の下敷きになって即死したのです。

私自身の悲しさ、悔しさはとても言葉では言い表せません。また、気が狂ったような母の悲嘆にくれた姿を見て私は、「弟の分も合わせて二人分生きてやる」と心に誓いました。

私は昭和五十三年の十一月から透析を始め、いまも週三回、夕方の六時から十時まで透析を受けています。透析はいったん始めると一生続けていかなければなりません。
その苦しさはたいへんなもので、私が初めて透析を受けて病室に戻った時、妻に「地獄や」といったそうです。

そのように快調にスタートしたものの、一年半にバブル経済の崩壊も始まり、設備投資や人員増の後だけにズシッとこたえました。その上、専務以下の幹部たちが経営権要求して、「応じてくれなければ辞める」と申し出、辞めていきました。

東大阪に保有していた遊休の土地や、新築間もない奈良の自宅も売却して、私は社員に対して会社再建の不退転の決意を示しました。

【気付き】

今回は藤田社長の苦労が最も響きました。
・弟さんの不幸
・透析の大変さ
・部下の離反
・資金繰り と本当に大変な状態でも経営に関わる、まさに命をかけてでも行う経営に対して自分の甘さを感じます。
今現在健康で頑張れるうちに、最大限の努力をしないと。

引用 株式会社芝寿し 梶谷真理様

製造部がうまく運営されない一番の原因は、社長と製造部長との考え方の違い、つまり経営における価値観がなかなか一致しなかったことにありました。トップと部門長との間に意識の差が出始めると職場の雰囲気はどんどん悪くなり、私にはそれが残念で仕方ありませんでした。

経営者の価値観と、社員の価値観が同じであれば労働紛争なんか起きるはずがありません。社員の価値観・意識を、経営者のレベルにまで高めていくということは、経営にとって最も大切なことです。

【気付き】

パワーのある梶谷さんですが、こんな強い専務がいれば社長も心強いなと思います。
価値観をしっかり共有できればいいと思いますし、専務として社長を支え、会社組織を引っ張っていくパワーに感心しました。

組織論で言えば、フォロワーシップとかいいますし、トップのマネジメントによってもこのあたりが変わってきます。このように優秀なナンバー2は実に優良企業には多い気がします。逆にNo.2が入れば会社も成長する。そう確信してます。

引用 敢闘賞 金納建設株式会社 金納慶太様

なんといっても大きな問題は、私自身が土木・建築について知識や経験を持っていなかったということです。
「人心を掌握するということは、兄弟に限らず従業員に対しても必要なことで、やはり経営者たるもの、尊敬と信頼を勝ちとらないといけません。今のあなたは経営者として弟さんのことだけを考えている段階ではありません。」

ものごとの結果は、心に何を描くかによって決まります。「どうしても成功したい」と心に思い描けば成功しますし、「出来ないかもしれない、失敗するかもしれない」という思いが心を占めると失敗してしまうのです。

【気付き】

兄弟間でも、結局は膝を突き合わせ語り合うことが大切だと思います。
身内だろうと他人だろうと、自分の思い通りにはいきません。
過去と他人は変えられないが、未来と自分は変えられるを強く感じました。

お互いが納得すること、お互いが信頼すること、兄弟でもお互いがうまくやっている企業さんもあったりするのはこのあたりの部分なんだろうなと思います。