小善は大悪に似たり、大善は非情に似たり

「小善は大悪に似たり、大善は非情に似たり」

京セラフィロソフィーにもある一文ですが、含蓄のある深い言葉だと感じます。
まず、小さい善い行いは大きな悪に似ている、という言葉です。これは親が子供を育てる場合で考えてみるとわかります。

子供を育てる際に、子供が喜ぶからといって毎日お菓子を与えているとご飯をあまり食べなくなって栄養が偏ったり、虫歯になったりして、子供によかれと思ってしたことが結局は子供のためにならない悪い行為になってしまっている、というような場合を見てみます。
まさにこれこそが、子供が喜ぶからと小さい善かれし行為を行った結果大きな害悪を与えている、小善は大悪に似たり、なんです。

そして、大善は非情に似たり、ですが、大きな善い行いは冷たい非情に似ている、ということです。
これも親が子供の成長させるために厳しくすることが当たりますが、ことわざにも可愛い子には旅をさせろ、といいます。旅をすることで自分で何から何までしないといけないので頼る人も探し、衣食住を済まさないといけないのでその分人間的な成長ができるということです。子供に野菜を食べさせることや、お菓子ばかりを与えないなどもこの大善に近いと思います。

ここで考えてみると、企業でもこの大善と小善の考え方は当てはまります。
「小善は大悪に似たり、大善は非情に似たり」でいくと、私自身も厳しく怒ってもらった先輩の恩は今でも覚えています。入社1ヶ月少しくらいのときに
「谷さんはこれ以上成果でなかったら、法律の世界に戻るつもりだから」と発奮させてもらった役員、私のミスに対して「仕事をなめてるんかお前!」と怒声を与えた当時のリーダー、 「ビジネスマンだったら書類くらいまともに書けるようになれ」と諭してくれた営業事務の先輩の厳しい管理。

どれも大善です、今でも感謝です。
会う機会があれば本当にお礼を言いたい、と感じることが大善ではないのかな、と思います。

この大善をもってスタッフと接するにあたって、根底にあるのは愛情です。子供が成長して欲しいから、子供のためを思って旅をさせるのだから、根本は愛情であって愛情があるからこそ大善という手段を取ってもうまくいく、愛情あって大善という順序があるわけです。

小善は大悪に似たり、大善は非情に似たり。

 

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