学ぶと真似ぶは同じ意味

『学ぶという言葉の語源は「真似ぶ」、つまり真似をすることである』
という言葉があります。真似をすることはすなわち学ぶことになるということです。これはいつもいつも本当に痛感します、いつも感じます。

プロ野球やスポーツ選手で活躍している人の中では、長男長女よりも下の子が活躍しているケースが統計上で多いのですが、たとえば、レスリングの伊調姉妹だったり、大相撲の若乃花、貴乃花親方だったり、サッカーの遠藤選手なんかは三人兄弟の末っ子ですし、ガンバの宇佐美選手も三人兄弟の末っ子、でお兄ちゃんたちと混じっているうちにうまくなったパターン。

私自身末っ子なのでこれはいつもいつも痛感するわけで、人の動きやしてるのを見て真似るわけです末っ子は。でもって、失敗しないケースと成功するケースを見て真似てうまくいく、そして学ぶというわけです。オリジナリティなんてありません、うまくいく要素を真似るわけです。かっこいいオリジナリティなんて言葉見向きもせず、「できる人をしっかり見てまねる」ただこれだけ。仕事なんかもそうですね、仕事ができる人は何を考えて、どんな行動をして何を価値基準に置いて日々事業や経営を行っているのか、なんて真似てます。逆に「仕事できない場合はどんな失敗してるのか」なんかも知りたいですし真似てます、事業を先取りしすぎたとか、どんぶり勘定でやってしまったとか、会社の内部留保が少なかったとか。

学ぶこととは真似ぶこと、昔やったのですがやっぱり自然とうまい人見てました、「あんな感じにバランスとるんやな~」と見て自分でやってみる、やっぱり真似ぶことやってます。真似ぶことが普通、もっと立派な事業家を真似ばないと。

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