骨董品にみるあたたかい目

恋するフォーチュンクッキーではありません、恋する骨董。

この「恋する骨董」からなるほどと思った文章などを引用。
『この本の中でなぜ繰り返し信頼できる店と店主を見つけることが大事と言っているのか。それは生涯勉強の心を持つためです』
『徒然草の吉田兼好も先達はあらまほしきことなりと書いているように、古美術のような趣味の世界には先輩が絶対に必要です。これを無視したり道半ばで忘れてしまえば最も恐ろしい自分目利きという落とし穴にはまります。自分目利きとは自分勝手な見方ということです。』
『目利きの師匠・先輩がいないと自分勝手な好みだけに走り、(ここまではいいのです、誰にも好みはあります)最終的にはまがい物ばかりを手に入れることになってしまうことでしょう。真贋の判断がつかなくなるのです』
自分が正しいと強く思えば思うほど、いくら勉強しても先輩の意見を聞かなくなり、自分の都合と欲だけで情報を解釈してしまうわけです。人間はみたいものをみたいところだけみて、聞きたいところを聞きたいように聞く、わけです。

『そして、人は身銭切って買ったものについてはやはり一番勉強するのではないでしょうか。ゲンキンなものですが「買って使う」「買ってみる」ことが最も有効な勉強方法です。』

などの言葉。

前にスタッフがセミナーに参加してもらったので、そのセミナーについて報告など聞いてもらった資料の説明を聞いていると、自分の職責ではない部分も多少説明などがあったので、そのあたりはあまり関係ないなという気持ちで受講できたものの聞くと自分の仕事の部分と密接に関連しているので、多く気付いたりする部分があったと話していました。そうですね、そうなんです。骨董の話も大枠全体でみれば仕事の枠で繋がっています。骨董業界にしかないルールもあることはありますが、仕事という枠内では一緒。

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