働くことや仕事は世のため、人のために行うもの

はたがラクになるから「働く」といいますが、仕事はいったい何のためにするのか。

仕事は世のため、人のために行うものです。

仕事してると目先の部分だけのとらわれることがどうしても多くなります。今日の仕事、今日の内容、今日のメリット、今日の利益、今日の時間、今日今日今日。
それはそれで大事なことかもしれませんが、世のため人のためと考えないといろんなことがおかしくなるわけで、というのは、若いとき、20代最初の頃はずっと勉強ばかりをして過ごしていたので毎日の生活が極端に言えば、
・バイトの学校警備で用務員室で起きる ・そのまま予備校に行く ・家に帰り着替える ・また別の学校の警備に入る と言う生活がずーっと続いていて勉強が大事といいながらも、こんな生活を早く脱出しないといけないという危機感ばっかりだったわけです。勉強は大事だし、夢を持って努力を重ねることも大事なのですが、20歳も過ぎて社会人にもなれば、今の身分自体が社会の中で言うお荷物になっているんだろうなと言う感覚がひしひしあったんです。小学校や中学校の警備なので卒業生ヤンキーをたまに発見して「夜遅いから家に帰りやー」と促すくらいで、それほど大きなトラブルになるようなこともないわけで、はたまた機械の警備に取って代わられてもおかしくないなという警備の仕事をしていたわけです。

そうなると、保険や道路、教育補助、いろんな市税や国税はそれほど負担がないような生活なので、言ってしまえば「社会人なのに社会におんぶにだっこ状態」ということを日々感じていたわけです。これでいいのか?いやよくない、で勉強意欲に変えていたのですが、そうなると仕事を早くしないといけない、そんな危機感ばかりで焦りもあったわけです。そんな状態が20代半ばまでずっと続いたので、まっとうに仕事をしているだけでそれだけで素晴らしいことだと、そのときからずっと思っていたので、今仕事は世のため人のためと言う考えがすごくしっくりくるわけです。

仕事によって何か社会に貢献はしないと、そうでないと子どもの頃から教育や保険やいろんなことで社会にお世話になった分、恩返しはしっかりしないと、そんな気持ちが多々でてくるのです。
「働くのは世のため人のためです」 そうなると、受からない試験にずっとずっと打ち込むのは世の中の視点からすれば、「お前さんはがんばったけど、そっちに向いてないから別のほうが社会にとってはええねんで」、と何かの導きがあったのかもしれません、そんなことで試験勉強を辞めました。

今仕事を「働くのは世のため人のためです」というのは、立派な仕事をしている人は立派な仕事をしてほしいですし、世の中でみれば立派な仕事でない、と言う仕事もみる人変われば立派な仕事です。職業に貴賎はないので、いい仕事をしてほしいと思うわけです。ずっとずっと勉強してお医者さんになった人は医業で人の命や健康に関わって欲しい、消防署の試験に受かったなら消防員としてまさかのときに活躍して欲しい、そんないい仕事にめぐり合えたらそれが一番だと思いますし、仕事もずっと続けていればその仕事のすばらしさが見えます。

ネットのこの仕事は少しでもそういった素晴らしい仕事をネットを通じて向こう側にいる人に伝えることが大きな価値だと思います。

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