仕事へのぶれと環境依存

仕事をしていると様々な現象に出会う、上司からの意味不明な指示、部下からの理解を欠いた相談、同僚からの理不尽な愚痴。仕事勤めをしているときもそうだったし、社長になった今もいろいろな仕事が入ってくる。

仕事がスムーズにいけば気持ちもいいものですが、理想とする目標が高いとたいていその目標と現実のギャップで、大きなストレスを抱える。ストレスを抱えた中で何とかもがき苦しみ、現状打破の一筋の光を探し進みだしていかねば、先は見えなくなってくる。

今までの経験で言うと、いろいろな環境の中で、環境だと駄目で、この環境なら素晴らしいという人材、と感じたことは全くない。これは間違いないと思う。市況が悪い、商品が悪い、上司が悪い、営業手法が悪い、あるいは部下が悪い、ライバル会社が悪い、というような責任転嫁は一切せず、与えられた場所で一定の成果をコンスタントに出す、こういった人材が本当に地力のある人材に感じます。

少なくとも尊敬すべき先輩はそうだったし、自分も仕事をしている勤め人のときに、「翌月から営業部署ではなく異動だから。よろしくね」、と上司に月末最終日の夜のミーティングで宣告を受けたときも、翌月から腐らず与えられた場所で最大のパフォーマンスを発揮しようと心がけてました。

仕事を外的要因を理由にして、環境のせいにして自分を慰めているうちは「優秀な人材」ではないはず。慰めると気持ちはいいものの、あまり意味はないかと。同じように酒やタバコでリフレッシュするなら、また愚痴を言って気晴らしをするなら、真剣にどこまでも見つめて改善案を自問自答が最も生産的かと。上司が悪いなら上司をあっと言わせて発言力を高めてしまえばいい、上司をマネジメントすればいい。環境を変えてしまえばいい。

環境は大事ですが、環境に依存されてはいけない。
学生の採用で言うと、優秀な方の定義が難しいですが、田舎の和歌山の高校で予備校などない環境でも東大や京大に行く現役生もいます、そんなものですし、環境が劣悪で他社より劣っているからこそ地力で負けない努力を行うことが大事、そう感じ考える人物、そういったぶれのない人物こそどういった会社でも選ばれるのでは、と思います。

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